人と出会うということ
前回の日記で書いた読書について、熱が収まる気配がありません。
むしろ、どうにかして読書時間を作りたいという思いが強く、割とそういう時間を設けています。
このペース、どこまで続くか。合唱、ゲームに続く第3の趣味として定着すればいいな。
本を読んでて思うのは、以前と読み手の自分に変化があるってこと。
大きく二つ。
一つ目は、先読みすることを覚えたってこと。
皆さんからすれば当たり前だと思いますが、読みながら先の展開がどうなるかをある程度想定するってこと、あると思います。
実は、過去は自分はそういう読み方をしていなかったようです。(もう昔のことだからあまり覚えてない
どちらかというと文章にかじりつき、一文一文を読んでいくスタイルで、先の展開なんかはあまり気にしない読み方だった記憶があります。
目の前の文章とその次に続く文章が作り出すストーリーの道筋を丁寧に追っていく、そんなスタイルだったんでしょう。
今は、なんでかわからないけど、先の展開を予想する余裕があります。
特に意識するでもなく、自然と「あーこういう展開になるのかなー」って考え始めてます。
「この文章は先のこういう展開を導くためのものかな?」みたいな観点でも読んだりしてます。
その展開が当たる当たらないは置いといて、そういう視点を持ちながら本を読んでいる自分にちょっと驚いたりしました。
「あー、そんな読み方してるな、昔はこんなんだったか?いやそんなことなくね?…いつからこんな読み方できたの?俺…」
とまぁこんな感じです。
なんだろう。大人の余裕か?(絶対違う
とにかく、過去の記憶と今の実践方法の違いから、自身の変化に気づけるのはなかなか重要な機会です。
そういう自分に出会えるって、いい話じゃんねぇ。
二つ目は、ネガティブな感情と向き合うってこと。
これも昔の記憶にはないんですが、現在、本を読んでてマジでむかつく時があります。
その対象は物語の中で描かれる登場人物であることがほとんどですが、本当にむかつくんです。
マジです。本気と書いてマジ、ぐらいにはむかついてます。怒ったりイラついたりすることがあります。
本を読んでいるとどうにもポジティブな感情の揺らぎが多かった印象なんですが(そういうのしか記憶に残らないだけかもしれませんが)、
今回のようにネガティブな方向にも揺らぐのは初めての経験なんじゃないかな。
そして、読んでてむかつくときにはその感情から逃げずに向き合うようにしてます。
つまりはむかつきながらも読み続けるってことです。
これ、なかなかつらいんですよ。だってむかつきながら読み続ける道理ってないじゃないですか。
心の中で拳を握り何かを殴りたくなる、そういう衝動が大きくなっていくのを受け入れる合理的な理由が自分には思い浮かびません。
とはいえ、そういう感情が出てくるのも自分自身だし、ここは逃げずに向き合おうと思い立ち、今もそうしてます。(だいぶ非合理的だと思ってます
面白いのが、こうしていくことで、現実でネガティブな感情を持つことが減ったなーと思えることです。
多少のことでむかつかなくなりました。それよりも豊かな心をもって物事を見れるようになってるような錯覚があります。
おそらくは、そういう負の感情に触れて消化することで現実の出来事を俯瞰して見れるようになってるんじゃないか、と分析してます。
新しい自分の視点を見つけられるのって、いいことじゃんねぇ。
そんな感じの読書生活を綴ってみました。
読書は出会いと近しい。それは自分との出会いであったり、それこそ人との出会いだったり。
物語の登場人物、ひいては作者と出会い、コミュニケーションしていく過程がたまらなく面白いと感じてます。
第3の趣味として定着するか、自分でも楽しみです。
では、次の更新でお会いしましょう。